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ヘルマン・コーエン (カルメル会) : ミニ英和和英辞書
ヘルマン・コーエン (カルメル会)[かい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

ヘルマン・コーエン (カルメル会) : ウィキペディア日本語版
ヘルマン・コーエン (カルメル会)[かい]

ヘルマン・コーエン1820年 - 1871年1月20日)は、ドイツ音楽家カトリック教会カルメル会修道司祭
== 生涯 ==
ヘルマンはハンブルクユダヤ人家庭に生まれ、早くから音楽的才能を発揮し、11歳でパリに行きフランツ・リストの門下生になった。彼は音楽家として活躍し、ジョルジュ・サンドをはじめ多くの著名人に招かれたり、ヨーロッパ各地で演奏したりした。
しかし、その名声と引き換えに生活が悪化し借金を抱えるに至った。27歳のころ、友人から教会でのオルガン演奏を依頼され教会に入った。そのときに行われた聖体降福式で神秘体験をする。彼はそれを境に生活態度を改め、カトリックに改宗した。ヘルマンはセーヌ川左岸の家に移り住み借金を完済し、ある日偶然に出会ったカルメル会修道士と知り合い、カルメル会に入った。
ヘルマンは着衣し「御聖体のアウグスティヌス」の修道名を名乗り、1850年、誓願を立てた。後に司祭叙階され説教師として知られるようになる。コーエンはローマでイギリス人枢機卿ワイズマンと出会い、それが契機でロンドンに派遣され、1862年、修道院を建立しイギリスにおけるカルメル会を再興し1868年まで現地に留まった。
また、音楽家であったコーエンは演奏会を開催し、同じカルメル会士で後に棄教し多くの醜聞を起こしたシャルル・ロアゾン(1827年-1912年 修道名は「無原罪の御宿りのイヤサント」)に対して回心と教会復帰を呼びかけた。1871年1月20日、天然痘を患い帰天(死去)した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘルマン・コーエン (カルメル会)」の詳細全文を読む




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